名優・大滝秀治、がんのため死去 昨年4月に療養のため舞台降板…
2011年度文化功労者に選ばれた名優・大滝秀治(おおたきひでじ)が2日午後3時17分、肺扁平上皮がんのため東京都内の自宅で亡くなっていたことが5日、分かった。87歳だった。
東京都文京区出身の大滝は1948年、民衆芸術劇場に1期生として入所し、1950年に劇団民芸創立へ加入。
同年、『風の吹く一幕』で初舞台を踏み、1970年の舞台『審判』の演技で紀伊國屋演劇賞を受賞し、劇団の中心俳優となった。
存在感のある主役から個性的な脇役までこなす演技力で、舞台だけでなく、テレビや映画、CMでも存在感を発揮。
1975年放送の朝の連続テレビ小説『水色の時』(NHK)をはじめ、倉本聰が原作・脚本をつとめた『うちのホンカン』(TBS系)や老刑事にふんした『特捜最前線』(テレビ朝日系)など代表作多数。
1988年に紫綬褒章、2011年に文化功労者を受賞するなど、60年以上にわたり活躍を続けてきた。
80歳を過ぎてからも毎年のように主演舞台をこなしていたが、今年4月、主演予定だった舞台『うしろ姿のしぐれてゆくか』を体調不良のため降板。
以降、病気療養を続けており、2011年上演の『帰還』が最後の舞台となった。
訃報を受け、大滝とともに劇団民芸の代表を務めた女優・奈良岡朋子(ならおかともこ=82)は、
「ただ一人の同志といえる存在でした。
こよなく演劇を愛し、情熱を燃やしつづけるあなたを失った今、大切な翼をもがれたような思いです。
もう一度、一緒に舞台を創りましょうと、話していたばかりなのに…無念です」
とコメントを発表。
なお、葬儀は近親者のみで済ませており、「お別れの会」を22日午後2時から東京都港区南青山の青山葬儀所で開く予定だという。(伊原)
東京都文京区出身の大滝は1948年、民衆芸術劇場に1期生として入所し、1950年に劇団民芸創立へ加入。
同年、『風の吹く一幕』で初舞台を踏み、1970年の舞台『審判』の演技で紀伊國屋演劇賞を受賞し、劇団の中心俳優となった。
存在感のある主役から個性的な脇役までこなす演技力で、舞台だけでなく、テレビや映画、CMでも存在感を発揮。
1975年放送の朝の連続テレビ小説『水色の時』(NHK)をはじめ、倉本聰が原作・脚本をつとめた『うちのホンカン』(TBS系)や老刑事にふんした『特捜最前線』(テレビ朝日系)など代表作多数。
1988年に紫綬褒章、2011年に文化功労者を受賞するなど、60年以上にわたり活躍を続けてきた。
80歳を過ぎてからも毎年のように主演舞台をこなしていたが、今年4月、主演予定だった舞台『うしろ姿のしぐれてゆくか』を体調不良のため降板。
以降、病気療養を続けており、2011年上演の『帰還』が最後の舞台となった。
訃報を受け、大滝とともに劇団民芸の代表を務めた女優・奈良岡朋子(ならおかともこ=82)は、
「ただ一人の同志といえる存在でした。
こよなく演劇を愛し、情熱を燃やしつづけるあなたを失った今、大切な翼をもがれたような思いです。
もう一度、一緒に舞台を創りましょうと、話していたばかりなのに…無念です」
とコメントを発表。
なお、葬儀は近親者のみで済ませており、「お別れの会」を22日午後2時から東京都港区南青山の青山葬儀所で開く予定だという。(伊原)
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